産業保健師のあれこれ

最近はじめました。よろしくお願いします

産業保健師への道 私の場合編

さて今回は、自己紹介も含めて実際にどういう経緯で産業保健師に転職したのかをご紹介します。

 

〇産業保健師になるまでの経緯

・高校時代はバレー部に入部。休みは年3日しかないハードな部活だったおかげで、根性とマッサージ技術を獲得。高2の冬、進路を決める際に友人から「マッサージ上手いから看護師なれば?」と言われたのをきっかけに、看護師の道を検討。お金を稼げる、資格が取れる、就職に困らない、モテるという不純な理由で看護師の道へすすむ。

看護学生時代に、産業保健師の実習を行った際に強い憧れを持ち産業保健師への道を目指す。産業保健師になるためには臨床経験が必要と考え、一旦病院へ就職することを選択。なお、強い憧れとは「OL風を満喫して大企業のエリートと結婚する」という不純な動機そのもの。

・2015年大学卒業後、都内病院の循環器内科・心臓血管外科病棟に就職。これといった功績はなく、月残業は100時間超えでボロカスと化す。それでも仕事は楽しいと思い、病棟メンバーも好きだったが、やはり憧れの産業保健師を忘れられず、転職することを決意。

・2017年看護師3年目の秋頃に転職活動開始。

・2017年12月〜2018年2月の約4ヶ月間で10社に応募。4社は書類追加したが、一次面接、筆記試験、小論文、SPIなどを実施し全て惨敗。

・3月にとある企業を募集し書類が通ったため面接を実施。面接官との相性が良かったおかげで、年度末最後の転職活動でなんとか内定をGET。

・2018年4月紹介予定派遣として入社し製造工場の1人診療所に勤務。

・2020年に憧れだったエリート(?)と社内結婚

・娘の出産のため、1年半の間産休育休を取得。

・2022年の春に同じ現場に復帰し、現在に至る。

 

ざっとこんな感じです。私は看護師になるのも産業保健師を目指すのも不純な動機でしかありませんが、それでも不純な動機を概ね叶えることができました。

産業保健師を目指すというのは、孤独な闘いでもあります。そもそも目指す人が少なく理解されない上に、何度も落ちるので「自分より優れている人はいくらでもいる」と自信を無くすことも多々ありました。落ち込みすぎて転職を諦めようともしました。

そんな中でも心の支え(?)だったのは看護師の免許があるということでした。看護師免許さえあれば就職に困る事はありません。もし産業保健師に就けなくても、またしばらく病棟や他の現場で経験を積んだらまたチャレンジしようと思って、少し肩荷を下ろしながら転職活動をしていました。

 

私が内定を貰えたのは、特別優れていたわけでもアピールができたからでもありません。

理由は「運が良かった」からです。

運かよ⁉︎とツッコミたくなるかもしれませんが、私の運は、転職エージェントさんに恵まれたということと、募集のタイミング、通える立地、面接官との相性の4つで構成されています。まさに運としか言いようがないのですが、実は転職に成功したのは運だったというのは私だけではないようです。

スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授は、「プランド・ハップンスタンス理論(計画された偶発性理論)」を発表しました。
これは、キャリアの8割が予期できない偶然に左右されており、未来は予測できないことだらけなので、偶然の出来事を主体的にとらえて行動することがキャリア形成につながるという考えです。

もちろん内定をもらうにあたって、募集要件をクリアしていることやマナーが身についているなどの最低限のスキルは必要です。運をいかに掴み取るかが重要です。

運をつかむ方法は一つです。

それは

行動することです。

行動しなければ運は回ってきません。

産業保健師の転職サイトに登録し、エージェントさんと面談し、職務履歴書を書く。ビジネスマナーを身につけて、紹介された企業を片っ端から受けて散ってを繰り返す。筆記試験、小論文、SPIの対策を行い、面接はとにかく笑顔で話す。

ここまでやったら「人事を尽くして天命を待つ」です。

そこまで努力できれば必ず運が回ってきますし、内定を掴むことができます。

今すぐ行動しましょう。応援しています。